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「日向のネット」の紹介
「日向の村! なぜか、私の心の奥で、なつかしい思いをかきたてるよう なことばです。母に連れらて越えた峠の記憶、打たせ湯のある山奥の湯宿の 記憶、親しくなった友と歩いた小さな流れの堤の上、下校の途中橋の下へ降 りて、川をせき止めたり、クルミを拾った記憶、いずれも、暖かな日の当た る「日向の村」でした。 「日向の村」は私の心の風景です。記憶に従って、そこを訪ねても、私の 記憶とはて似てもつかないものばかり、峠は削られ、道は広がり、すべて舗 装されています。山奥の湯へは行ってはいませんが、ここへはゆくまい、と 思っています。母の記憶がすべて虚構に過ぎなくなってしまうのはあまりに もさびしく、悲しいからです。 細い踏み跡だった堤の上も舗装され、流れへ下りられた堤はコンクリ−ト で固められ、草木の生える余地もありません。思い出のクルミの木も、護岸 工事で引き抜かれ、無味乾燥なコンクリ−トが冷たく日を返しています。 ああ、「日向の村」は、私の心の中にしか存在しないのです。わずかな時 間の間に、私のふるさと、日本人の誰もが持っていたはずのふるさとは消え てしまいました。ふるさとを画用紙の上にかかれた鉛筆画を消すように、消 した者は誰! だから、このギャラリ−の名を「日向のネット」にしました。 2003/02/01 塙 泉 |
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